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法門無尽 福井孝典ホームページ

9月

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 │ FORUM2-7 第34号  9月2日(月) │
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 9月になり新学期が始まりました。夏休み後半はすっかり秋の風が吹く毎日でした。まだ残暑は暫く続くことかと思いますが、これから一年中で一番過ごしやすい季節となります。生徒達はもとより皆様方も、夏の疲れを素早く回復して充実した秋をお迎えください。
FORUM、夏休み中に生徒版を2号出しましたので、それも勘定に入れて今号は34号といたします。
夏休みはいかがでしたか? 40日間は長いようであっと言う間に過ぎてしまうという感じがしますね。いや、充分長いという感想をお持ちの方も多いかもしれません。いずれにせよ、厳しい暑さは完全に峠を越したようです。休み終了と共に秋風が吹き始める、こんなにわかりやすい休業期間には日本の情緒みたいなものを感じてしまいます。
かなり田舎という雰囲気のわが家の庭には日がな、トンボが飛び回っています。特に秋の虫ではないのかもしれませんが、これが風に乗っている姿はいかにも涼しそうです。
生徒版FORUMにも書きましたが、今回の休みの前半はオリンピックをテレビで見るということが大きな楽しみでした。私にとってはこんなにのんびり観戦出来たのは初めてのことです。滅茶苦茶に忙しかった時期は過ぎたようで、暢気に日々を過ごしていました。
 今回は197の全ての加盟国・地域から参加して来ているということで、それは世界が大きくつながって来ているということを示しているのかもしれません。
オリンピックと言えば私にとって一番印象が深かったのは東京オリンピックでした。あの頃はなんでも「オリンピックまで」ということが合言葉になる程に日本が急速に変化していました。
 当時、私は中学3年生で、ベビーブーマーということで空前の受験戦争というものを経験している所でした。身体の悪い所は夏の間に治しておけというアドバイスに従って、夏から歯医者に通い始めましたが、日本の医者というのは直ぐには治してくれません。夏季休診も重なって治療が2学期いっぱいにずれ込んでしまいました。しかも私を担当してくれたのが、その歯医者の息子さんということでまだインターン生だったといいます。通えば通うほど歯が痛くなり、試験も近付く頃には痛み止めも効きません。結局数本の歯の神経を取ることになりました。あの日紡カイヅカがソ連を破った女子バレー決勝戦の時、試験直前の日曜日のことでしたが、私は歯医者で前歯2本の神経を取っていました。受験戦争と歯の治療、痛み止めの多用も手伝って頭がぐるぐるするような時を過ごしていました。
それでも、アメリカ以外の初めて見た外国人の多さ、同じ人間として一生懸命に頑張る姿、日本がホスト国として役目を果たせるのだという自信、そういう感動のようなものを強烈に受けたものでした。
あれから30年以上も経ち、日本も世界も随分変化してきました。日本に関して言えば、余裕のようなものが確実に出てきている印象を受けています。選手達も垢抜けしてカッコいい者が多く、当時の悲壮感さえ漂うなり振り構わぬがむしゃらさは余り見られません。それは一つの進歩だと思います。
あの時の自分と今中学3年生の下の娘とがだぶって目に映ります。上の娘の時は外地にいたこともあって随分気を使いましたが、この子の場合は本人に任せきりです。それで図書館に通ったりするのを見て今更ながら、あゝ受験生だったんだ!と気が付くような次第です。姉に対するのとは違う親の態度にあきれかえりながらも、彼女は自分でせっせと学習を進めていました。親としては、夏休みぐらいもっとのんびりやってもいいんじゃないかと思ってしまいます。楽しい勉強も、試験というものが鼻の先にちらついては不快なものになってしまうような気もします。
 一つ私にとって良かったことは、オリンピックで重・木下組のヨットが銀メダルを取ったことに啓発されてか、彼女が一緒にヨットに付き合うようになってくれたことです。最近は日に焼けた肌が流行しているとかという事情もあったようです。
上の娘は夏中長野でアルバイトをやって稼いで来ました。社会勉強になったんじゃないかと思います。大学生くらいになれば、いつまでも親元にばかり居ないで自ら社会に飛び込んで行く姿勢が必要だと思います。
又、例によって、自分の書きたいことをだらだらと書いてしまいましたが、こんな相変わらずの調子で2学期もやっていきたいと思っています。
 お子さんのことで気が付いたこと等ありましたら、遠慮無くお話しください。


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 │ FORUM2-7 第35号  9月9日(月) │
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 2学期の授業が始まりました。
社会科は第4章「ヨーロッパの進出と日本の統一」から始まります。この章の冒頭は「イスラムの帝国」です。
 7世紀、ムハンマド(マホメット)によって唱えられたイスラームの教えは急速にアラビア半島に拡がり、8世紀には北アフリカからスペイン、東はインドや唐に迫る広大な帝国となりました。
アルコール、アルカリ、アルジェブラ(代数)、ケミストリー(化学)というような語がアラビア語を起源としているように、近代の医学、薬学、化学、物理学、天文学、数学は実にこのイスラム帝国で発達したものなのです。「ギリシァの文明に戻れ」というルネッサンスを現在の西洋文明の原点とする考え方が一般的ですが、何度も十字軍を派遣した中世ヨーロッパが、既にギリシャ文明を吸収していたイスラムの文化に接したことがそのルネッサンスを引き起こす要因となったのです。
現在地球上の人口の四分の一はイスラム教徒であると言われており、それが南側に集中していることから、南北問題とも絡み、21世紀を左右する大きな要素となっています。ですから、イスラム文化を知ることは昔の歴史的事実を知るだけでなく、極めて現代的な問題でもある訳です。
 幸か不幸か、そのイスラームまっただ中のサウジアラビアで生活することになった我が家は、その圧倒的な異文化ぶりを体験することになったのでした。
一日五回の礼拝や数週間の断食、世界中の信者がメッカに集結する巡礼、イスラム寺院の美しさ、至る所で目に付くコーランのメッセージ……、そういう宗教的雰囲気、戒律の厳しさが街中を支配し、イスラム教徒以外の者にも否応なく拘わってきます。豚肉が食べられないということ位なら大したことではありませんが、酒を全く飲めないということは私にとってはかなり辛いことでした。郵便物がチェックという名目で徹底的に荒らされるのも不快ですし、演奏会とか劇の公演や映画の上映とかは一切許可されていないということも息苦しいことでした。
それよりも、娘二人を含む私の家族にとって大きな問題は、当地では女性が黒い布(アバヤ)で身体を覆わなければならないとか、女性だけで外出してはいけないとか、車の運転をしてはいけないとか、男女が集まりで同席してはいけないとかという風に公然と男女差別が存在していたことでした。西洋文明とは全く違った発想の上での決まりや規則ですから、安直に差別だと決めつける訳にはいかないかもしれません。しかし感受性が育つ年頃の娘を置いておくには相当考えねばならない状況でした。
文部省の国際理解・現地理解教育の基本原則は文化の多様性をそのまま認め、あるがままの姿を受け入れるということです。ですからそれに額面通りに従えば、そういうアラブ風のやり方を肯定し教育していくのが正しい教育ということになってしまいます。
現在は情報化社会と言われ、何処に居ても必要な情報が手に入るように思われていますが、世界中がそういう訳ではありません。湾岸戦争までのサウジアラビアはCNNもBBCも入っておらず、相当性能の良い機械でもラジオ日本は微かにしかとらえられませんでした。
 一つの巨大で強力な文化に囲まれ、その中で必ずしもそれに同調せずに教育を行うということは結構大変なことです。何でもマニュアル通りにしか出来ない行動様式、大勢に従うことを信条として生きる姿勢、上からの指示だけで動くやり方、そういう身のこなしだけでは子供を守ることは出来ません。今の日本人に一番欠けているのは、生き方の原則とでも言うようなものではないでしょうか。ビジネスや社交上の処世術ではなく、政治的主張でもなく、もっと人間の生命や生活の根本に関わる原則のようなもの。そういうものを私は考えざるを得ませんでした。激動する異文化の中でアラブやイスラムについて考えるのと同時に日本についても考えざるを得ませんでした。
 平和な日本では特にそんなことを考える必要もなく毎日を過ごして行くことが出来ます。それはそれで良いことだという風にも思います。寛大な気持ちで多様な文化を許容出来るというのは素晴らしいことかもしれません。それは一つの余裕でもあり、又日本文化の昔ながらの特性であったような気もします。
しかし同時にその一方で、そんな極楽日本とは全く違った風土で全く違った生活や考え方の人達が本当に大勢存在し、真剣に生きているということ、この事実を2学期最初の社会科の授業をしながら思い出したのでした。


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 │FORUM2-7 第36号 9月10日(火) │
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 国立劇場で文楽「菅原伝授手習鑑」を観ました。 
 この作品は今からちょうど250年前の延享3年(1746)に初演されたものです。菅原道真の太宰府配流と北野天満宮の縁起を軸にして、菅原家の旧臣武部源蔵夫婦や白太夫の三つ子の兄弟、梅王・松王・桜丸の話が展開
されます。私が観たのはその三段目と四段目、車曳の段から始まって桜丸切腹の段が前半、後半は天拝山の段から寺入り・寺子屋の段までです。
 見所はたくさんありますが、クライマックスは、ア菅家没落のきっかけを作ってしまったと責任を感じて切腹する桜丸とそれを見送る父親と妻の心の葛藤、イ政敵時平の謀反の企てを知った道真が雷神となって呪う場面、ウ道真の子・菅秀才の首を差し出さなくてはならなくなった源蔵夫婦が、その日寺入りしたばかりの小太郎の首を身代わりとして、首実検に来た松王丸に見せ菅秀才を救うが、実は小太郎は松王丸の子供で、松王夫婦は実子が犠牲になるのを覚悟の上で道真の恩義に報いたのだった、という所です。
私が最近、古典芸能を観るようになったのは、日本人の心というものを改めて見つめてみようと思ったからですが、この人形浄瑠璃も圧倒的な迫力で日本的なるものが迫ってきたような気がします。
先ず第一に話の軸になる人物は悲運の人、多くは政治力に長けた政敵に破れた人、菅原道真・源義経・浅野内匠頭……。そういう人達の怨恨がメインモチーフとなっています。そしてそれに関わって忠義、これは運命というのに等しい絶対的な重みを持ったものとして人々に決定付けられているのです。
 アでもウでも、子供を死に送る親の話ですが、それは絶望とそれを通り越した無常観に満ちています。
「冥途の旅への寺入りの、師匠は弥陀仏釈迦牟尼仏。六道能化の弟子になり賽の河原で砂手本、いろは書く子をあへなくも、散りぬる命、ぜひもなや。あすの夜たれか添乳せん。らむ憂い目見る親心。剣と死出のやまけ越え、浅き夢見し心地してあとは、門火に酔ひもせず、京は故郷と立別れ、鳥野辺さして連帰る」
胸のかきむしられるようなこの暗さに比べれば、首実検される村の子と、ハイハイハイハイを連発する村人達の様子、
 「白髪の親爺門口より声高に『長松よ長松よ』と呼び出せば『オッ』と答えて出てくるは、わんぱく顔に墨べったり、似ても似つかぬ墨と雪。『これではない』と許しやる。『岩松はいぬか』と呼ぶ声に『祖父さん、なんぢや』とはしごくで、出てくる子供のぐわんぜなき顔は丸顔、木みしり茄子。『詮議に及ばぬ連れ失せう』と睨めつけられ『オゝこはや。嫁にも喰はさぬこの
孫を、命の花落のがれし』と祖父が抱へて走り行く」という、顔もはっきりしないその他大勢人形達の方がずっと救いがあるような気がします。
いずれにせよこのように日本文化の特徴の一つに、徹底的に弱者や敗者の側に立って、運命的な境遇をじっと見つめ、それに同情するということがあります。それは、例えばアメリカに見られるアメリカン・ドリームとかサクセスストーリーとは全く逆の発想です。彼らは、どんな困難にも打ち勝って勝者になることに価値と美を感じます。ハッピーエンドを支持します。
この違いは何なんでしょう? 唯一の超越神を崇拝する西洋の宗教心と仏教や儒教の教えを背景にする東洋の宗教心との違いによるものかもしれません。或いは市民革命・産業革命以来の近代合理主義に触れる以前の封建的時代の遺物なのでしょうか。明治以降多くの文学者や学者がそれ以前の日本文化を否定し新しいヒューマニズムに基づく文化の創造に向けて活躍したことを私たちは知っています。
確かに、例えば今の寺子屋の段にしても酷い話です。忠義の為に預かった子供を殺してしまう先生、それを承知で子を差し出す父母。現代ではあり得ないし、もし存在したならばそれは最低の人達だと私は思います。
しかしそれが美徳であった時代が確かに存在し、しかもそれは相当長期に渡って確立していたのだし、その中で人々はもがき苦しんできたのです。芸術作品で大切なのは、そうした状況の中での人間の感情や叫びが本当に描かれているかどうかということではないかと思います。
人間誰もが必ず勝利するとは限りません。幸福な生涯で終われるという保証もありません。不幸せな状態にも目を背けず、同情を持って、それこそ仏の目で見つめるという姿勢も大切なことだと思います。そこに人間の未来に向けての重要な光があるのかもしれません。
 勿論、現在の学校では、教育基本法にあるように、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」をめざして教育活動が進められている訳です。間違っても江戸時代や平安時代に戻ることはありません。


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 │FORUM2-7 第37号 9月17日(火) │
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 先日の朝日新聞の「天声人語」欄にこんな文章が載っていました。
以下そのまま転載します。
 神奈川県に住む六十六歳の女性から、つぎのような手紙をいただいた。◎私はつねづね、赤ちゃんを抱いて電車に乗る人には席を譲ることにしています。ある日そういうお母さんが乗ってきました。さっそく席を譲りました。その人は「隣の駅で降りますから結構です」といいました。隣といっても、急行なので数分かかります。◎重ねてどうぞと申しました。すると、座ったその人の前に高校生ぐらいの男の子が立ちました。やがて駅に着き、礼を言って降りる人のあとへ私は座りました。さっきの男の子はリュックを肩から下ろし座る態勢になりましたが、座っている私を見て叫びました。「このばばあ、死ねっ! このばばあ、死ねっ! おまえなんか生きているのは税金の無駄遣いだっ」。あとは悪口雑言の限り◎よっぽど胸ぐらをつかみ「おまえに死ねなんていわれる筋合いはない。私はまだ納税者だぞ。おまえがタダで使った小学校の教科書は、私が取られた税金で払ったんだ」とか言おうと思ったのですが、もし刃物でも持っていたらという恐怖がよぎり、目を合わせないようにしました。◎学校? 家庭? 私の世代が受けた教育より高度な教育を受けているはずの若い世代が、社会の成り立ちや人間が生まれ年老いていく過程、生活する意味についてどういう認識をしているのか。体が触れただけで電車から人を降ろし、蹴り上げている若い男性を見たこともあります。◎長く生きれば生きるほど、したいことがいっぱいあります。若いときの努力の積み重ねを時間に余裕のできた今、ようやく形にしたいと思っているのです。年寄りは若い人に好んで負担をかけようとは考えていません。私たちにもあなた方と同じ時代がありました。それから働き税金を納め「今」を獲得しているのです。◎長々と貴重な時間をごめんなさい。ありがとうございました。

それから数日後の「声」欄に「赤ちゃんを抱いたお母さんとは私のことです」という横浜の主婦からの文章が載りました。「……周りの人はその少年をにらみつけましたが、無言でした。座っているいるご婦人は、どんな気持ちだろうと思うと、胸がしめつけられるような瞬間でした。……」ということです。
 これを読んだ時、私は少しも変わった話だとは感じませんでした。極めて起こり得る身近な話だという風に感じました。現に数年前の大道中学校では毎日がこういうやり取りに溢れていたものでした。寧ろこの程度では軽い方で、おまえの子供に気をつけろとか、(子供が先生に)生意気な口きくなとか、という恫喝めいた言葉を吐き、そして実際、教師を暴行し、車を傷付けたのです。破壊された校舎の修復費用に数百万円がかかりました。
議会や新聞でも取り上げられ、毎日がまるで映画の中の光景のようで、私の教員生活でも全く初めての異常な体験ではありましたが、あり得ぬ出来事だとは感じませんでした。そういう過去の大中の事実を深刻に受け止め、もう二度とそんな事態に至らないようにしなければならないことは言うまでもありません。個別、学校や家庭の問題として考えてみなければならないこともたくさんあると思います。コトが過ぎれば全てめでたしと手を叩いて済むことではありません。
この一二年で大中の教職員のメンバーが大きく変わりました。私が居たこの四年間にお仕えした副校長の数は四人も居ます。そんなことで、その頃の大中の先生方のことを余程、教師として能力が無かったのじゃないかと思われる方もあるかもしれません。しかし私はそうではなかったと思います。
 どの先生もそれこそ命をかける程に懸命に努力していたと思います。周囲が安易に予想するかもしれない、体罰とか無思慮な指導というようなものもありませんでした。それどころか「思いやりと信頼」「対話と理解」という指導方針に忠実に苦闘していたと思います。
しかし当時現場に居て、私が感じたことは、何かそういう努力とは別の必然性が子供達に作用しているのではないかということでした。
彼らの思考・行動様式は論理を超越しているように見えます。つまり、最初の新聞記事に戻りますと、それが老人であるから「悪い」のです。年を取っているというそのことが最大の糾弾点なのです。もしあれが同じ年頃の異性だったとしたら絶対にあんなことは起こりません。同様なことが、先生という職業にも及びます。先生であるから、もうそれだけで反抗すべき対象となったのでした。当時、多くの教員が一体自分が彼らにどんな悪いことをしたのだと自問しました。彼らに理解されるよう努力しました。しかしそういう理屈は通用しなかったのです。
紙面が足りなくなりました。この問題についてはもう少し考察を続けなければなりません。皆さんも、掲載した新聞記事を他人事とはせず、一つ考えてみてください。


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 │ FORUM2-7 第38号 9月18日(水) │
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 哲学者梅原猛はこう書いています。「もしも、歴史が進歩するとしたら、歴史の後に生まれたものは、歴史の前に生まれたものより、後に生まれたというだけの理由でもって、賢明であるのではないか。それが進歩史観の、はなはだ論理的な結論である。このような論理的結論でもって、青年は、大人たちはすべて愚かであり、俺達だけが賢いのだと信じる。……すべて歴史の前に生まれた人間は、歴史の後に生まれた人間より馬鹿である。それが、進歩史観のきわめて当然の結論である。」(著作集7『哲学の復興』p298)
現代文明を形作って来た西洋の近代合理主義は、世界を、思惟する自我と延長する物質とに分け、理性或いは人間の意志と科学の発展は永遠に拡大し続けると期待しました。しかし結局それは、人間のエゴイズムを乱れ咲かす結果になり、神を殺し、他の生物を殺戮し、人間自身でも殺し合い、最後に世界を滅ぼす所にまで至るのではないか、そう梅原氏は心配します。そして「人間を阿頼耶識から考え直し、人間を宇宙との調和において思索し直す哲学が必要である」(前掲書p444)と考えるのでした。
横浜の高校生ぐらいの男の子の話から始まって、話を現代文明の根本を成す考え方を問うという大変な所へと発展させてしまいました。
 梅原氏が問うているのは、例えば実存主義とかマルクス主義とかカント哲学とかという一つ一つ全く別の体系を持つ個々の思想に対してだけではなく、ギリシア哲学とキリスト教にルーツを持つ西洋思想全体に対して向けられているという点が大きな特徴です。
東洋の思想を対置する関係でそういう構造にならざるを得ない訳ですが、私なんぞはそれはかなり乱暴な論理展開のような感じを受けてしまいます。しかし最近のベストセラー「ソフィーの世界」(とても面白いので是非一読をお勧めします)にしても西洋の思想が本当に一つの流れのようなものとして展開されていきます。情報化の時代にはミクロとマクロの両面から自由自在に把握検討するという視点が大切なのかもしれません。尤も、そういう視点からすれば、東洋思想にしても大きく人間の思想として概括すれば同じ土俵の上に立つことになります。
科学技術万能・経済成長優先・自然破壊・神の死と進歩に対する信仰・欲望とエゴイズムの全面開花……こうしたものを西洋文明がもたらしたものとし、近代日本はそれを最も忠実に積極的に取り入れて来たと氏は指摘します。
確かに、日本の未来はアメリカを見れば判るというように、戦後の日本はアメリカの後を追いかけているようにも見えます。学校の荒れとか青少年の問題行動の姿は既に数十年前のアメリカ映画で見ています。当時は余り日本とかけ離れた光景にびっくりしたものですが、今の日本ではなんの違和感もありません。
また同時に昔の日本を振り返って見れば、年寄りが軽んじられたり若者が現代ほど偉そうであったことはありません。寧ろその全く逆の世界が日常であったのです。
そういうことから、では昔の日本、或いは東洋の思想に回帰すれば全てがうまく行くでしょうか? 
それは甚だ疑問です。東洋の思想にも問題点や欠陥はたくさんあると思います。西洋思想が一定の否定的状況を生みだしたのと同様に東洋思想もまたそれなりの否定的状況を生み出したのではないでしょうか。何事にも長所もあれば短所もあるのです。特にこれからの時代、文化や情報に垣根を作る必要はありません。全ての意匠を柔軟に吸収し対応していけるような大きな容量が必要です。
いずれにせよ21世紀を迎えようとしている現在、世界は大きく変動し、世界中の人々が新しい考え方を模索しています。梅原氏が以前から警鐘を鳴らしていたように、特に西洋思想の方面で、それが指導的思想であったが故に、深刻な反省と見直しが迫られているのは事実です。そして、各国はそれぞれの祖先返り、民族的な神々へと向かっているようにも見えます。しかし同時に網の目のように拡がっていく情報のネットワークは、人間世界に共通の感情や考え方を持たらす可能性を広げているようでもあります。
青少年の問題は大人社会の問題でもあります。自分たちがどういう文化を作ってきたのか、どういう社会・家庭を作ってきたのか、そして人間の在り方を含め、どういうものを大切にしなければならないのか、考えを巡らしていくことも必要です。それは余り大袈裟なことでなく、各人の生き方の問題として考えることだと思います。
またまた紙面がついてきました。次号ではもう少し具体的に考えてみることにします。


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 │FORUM2-7 第39号 9月20日(木) │
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 今私達は、新聞の投書にあった少年の問題行動の話から、数年前の大道中の様子を思い出し、更には自分たちの基本にある考え方をしっかりさせなければということを考えている訳です。
そしてそのことはかなり重要な意味を持っているような気がします。というのは世紀末の大変動期を経、今人類は新しい指針を必死で探しているからです。価値観の多様化とか不確実性の時代とかという発想もそういう現在を表しているようです。
しかし親御さんの中には、そんな基本的な哲学についてあれこれごちゃごちゃ思い巡らさなくても子供の教育は出来るし、やって来ていると言われる方がいらっしゃると思います。そこの所が結構大事な所じゃないかと私は思います。そういう、生活から出てくる知恵のような考え方や感情、それをしっかり見つめ直す所に指針があるのだろうと思っています。
そういうことであったとしても、じゃああなたの教育について改めて述べてくれと言われると、かなりの人が口ごもってしまうかもしれません。文部省の審議会やマスコミが言っているようなことを喋り出している自分を発見し、自分自身の生活からくる思いとはそれが余り関係無くなっていることに愕然とするかもしれません。
矢張り今一度、自分の頭で、子供達と大人達の直面している世界と、取るべき行動について考えてみることは必要なことなのでしょう。
 私の場合は今こんなことを考えています。
 日本という国が外国の文化を見事に吸収し発展させていくという才能に長けている国であり、それが現在は西洋文化の担い手の重要な一つとなっていることは別に悪いことではない。もし西洋文明の行く手に暗雲が立ちこめ、それを克服するのに東洋の思想が役に立つというのなら、そのそれぞれの長所・短所を挙げてみて、その長所の部分を発展させていけばよいのではないか、と。まあ、極めて日本的発想な訳です。
やってみましょう。例えばFORUM36号の人形浄瑠璃について述べた所で考えてみます。日本人が敗者や弱者の立場を贔屓目に見、その運命的な境遇に同情することに人間らしさを感じるのに対し、欧米では運命や境遇はどうあれ、それを克服し勝利していくことに人間的な素晴らしさを感じます。こうした違いからどういう長所と短所が発生してくるのでしょうか?
 欧米の側の思想から招来されるのは、自分の行動に対する自信と責任、切り開いて行く未来に対する希望、こういうことが長所として出てきます。短所としては敗者弱者に対する劣等視、達せられない未来に対する救いのない絶望ということとかがあるでしょう。
日本の側の思想から起こってくることの長所として、生き物そのものに対する憐れみと優しさ、煩悩にとらわれない達観した心構えということ等が出てくるでしょう。短所としては、新しいものに対する軽視・白眼視、人間の目的意識的努力に対する嘲笑ということ等が出てくる可能性があります。
このように物事にはなんでも両面の発展の可能性を持っているものです。いつ別の方向に進んでしまうのか判らない危うさもあります。
私が言いたいのは、物事の良い面を充分に生かすように進み、悪い方向に進み始めたと気が付いたなら、それを出来るだけ早く改める姿勢が大切だということです。そういう毎日の作業の中で教育というものも営まれるのだと考えます。その基盤になるのは人間の文化総体から抽出される最も基本的な原則です。
もし東西文化の折衷をその短所ばかり集めて行ったらどういうことになるでしょうか。弱い者を馬鹿にし、人間の真面目な営みを嘲笑し、自分の行動に対する自信も責任も無く、救いの無い絶望を発散させるような人間像が出てきます。方法論は同じでもちょっとした勘違いからこういうことになってしまうのです。言い換えれば、子供が同じ環境、同じ方法論で育ったとしても善悪両極端に分かれる可能性は幾らもあるということです。
そこに日々の教育活動(大人社会全体のなす)の大切さの意味があるのだと思います。ものの善し悪し、するべきことしてはいけないこと、そういう判断の基準になることを、大人達は自分の生き様を通じて教えているのだと思います。
ということで一応の結論めいたものを導き出すことが出来ました。
誤解の無いようにつけ加えておきますと、現在の大道中はあの頃の様子とは全く違っています。思いやりも向上心も協力する気持ちもちゃんと持っています。現在を見つめながら純粋に生き方を模索し、過去から繋がる未来を準備することに関心と喜びを感じるという若者達。そういう彼らの意欲に応えられるように、前向きな生き方をしていきたいものだと思っている所です。


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 │FORUM2-7 第40号 9月24日(火) │
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 道徳の時間の授業の進め方は、テキストを元に問いを幾つか用意し、先ずそれに答える時間を与え、その後その問いを柱にして全員の意見を発表して貰い、討論をします。その際、発表内容には出来るだけコメントを挟まないようにします。最後に私が何かそれに関連する話をして終了です。
先週の道徳の時間はテキストに、FORUMに載せた『天声人語』を使いました。こちらで用意した問いは次の四つです。
1. この若者はなぜこのような行動を取ったか?
 2. 君はこの若者の行動をどう思うか?
 3. 君はこの若者と似たような行動や言動をしたことがあるか?
あるとしたら、それはどんなことか?
 4. 君がこの場所に居合わせたらどうするか?
生徒達の答えは次のようでした。
 先ず1番については、「座りたかったのにおばあさんに取られて腹が立った」「横入りされたと思った」「ストレスがたまっていた」「おばあさんなら反論しないと思った」「いずれ自分が納めなくてはならない税金にすごい不満をもっていた」「『なぜこんなに長く生きてるんだよ。邪魔なんだよ』と思った」「年寄りはどうでもいい存在だと思っていた」という風な観測がなされました。
2番については、「こんなことでそこまで言うなんて幼い、アホらしい」「自分のことだけしか考えていないので腹が立つ」「自分勝手」「自己中心的で心がない。自分の立場を考えろ」「税金の無駄使いと言うのなら仕事に行った方がいい」「悪口を言う必要はない」「年取った人をどなりつけるなんて思いやりがない。何か言いたいのならもっと丁寧に言えば良い」「自分が年を取ってからこんなめにあったら、いやだとは思わないのか」「大人の人がいて初めて自分が生活出来ているのに、たかだか席を取られたぐらいでよく『死ね!』ということを言えるなあ」「言うことが汚い、ひどい」「六十六歳の女性は若い人がこういう風だからがっかりしたと思う」「全然知らない人によくこんなひどいことが言える」「簡単に死ねと言うなんてバカな奴」「いらついているのを人にあたるのはよくない」「常識がない」「おろか」「年寄りを大切にいたわってあげた方がいい」「言い過ぎ」「この日本の社会をかんちがいしているんじゃないか」等の意見が出ました。
 3番については、全員が無いと答えました。
 4番については、以下の通りです。
 「聞こえないように『何なんだこの人は』と言うと思うけど、年上だから注意はできない。だから無視してしまうと思う」「将来自分がこんな人にはならないように心の中で注意する」「何も出来ないと思う」「状況による。こっちが大勢でいたらケンカを売る。一人の時はにらむ。相手が大勢の時は無視。鉄道公安官に言う」「同じ年ぐらいだったら、けんかを売って、ナイフやメリケンを持っていたらガンをとばして逃げる」「かかわらないようにする」「おまえが死ねばいいと心の中で思う」「注意する」「ただ見ている」「見て見ぬふりをする」「注意できそうな人なら注意する」「なぜそのようなことを言うのか聞く」「男の子に『思いやりがないね』って言う」「この高校生がこの女性に言ったような事を言えたら言うかもしれない」「席をゆずる」「高校生が通っている高校の先生に言う」「目を合わせないようにする」「自分がもし座っていたらその人に席をゆずる。座らせて騒ぎをなくす。それか、おばあさんに自分の席をゆずって移動してもらう」「本当に刃物を持っていたらこわいけど、それはその男の子が悪いんだから、にらみつけることぐらいはすると思う。もしかしたらひそかに物を投げるかもしれない」「無言でいると思う」「絶対に文句をつけて電車の中で叫ぶ『死ねなんて言葉をそう簡単に使うな。自分の立場を考えろ。自分が一番えらいと思うな』と言う」「何も言わず、見ているだけだと思う。そして心の中で『自分が情けない』と思う」………
私は、正義の行動と自分の安全という話をしました。どちらも極めて大切なことだということ。だから、よく状況を見ることも大切だし、鉄道公安官ということがでましたが、そういう安全確保の為に仕事をしている人に頼む場合もあるだろうと言いました。地下鉄サリン事件の時、自分の命を賭してサリンを片づけた駅員の人達のことは未だ記憶に新しいことです。私だってもし授業に何か暴徒のような者が乱入して来るようなことがあったとしたら、命をかけてもそれを阻止するだろうと言いました。そういう仕事上の責任感のようなものとは別の正義の行動については、矢張り自分の安全確保ということを優先させて考えるのは間違ってはいないと言いました。


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 │FORUM2-7 第41号 9月25日(水) │
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 朝日新聞の「天声人語」から始まった話題はFORUM39号で「一応の結論めいたものを導き出すことが出来ました」ということで終わった訳ですが、なんだか抽象的でよく判らないという声がありました。
 私の導き出した結論というのは極めて簡単な事で、様々な考え方がある中でその良い所を具体化して行けばよいというものです。その基盤になるものは現実の生活そのもの、更に人間の積み上げて来た文化全体です。そしてそういうやり方は日本人が得意とするやり方であった訳ですが、例えば西洋と東洋の文化の折衷を誤ったやり方で行うと39号で挙げたような否定的な人間像が出来、それが青少年の場合は当然ながら問題行動につながることでしょう。
念の為に良い所を統合していけば、次のようになります。自分の行動に対して自信と責任を持ち、未来に向かって前進すると同時に、世俗の煩悩にとらわれぬ心を持ち、生き物に対する憐れみと優しさを兼ね備えている人間。当然こういう人間像を一つの理想像として描ける訳です。
新聞に載った事件についての具体的考察については先回の七組の生徒達の意見で大体ポイントはつかめていると思います。ただその後、朝日新聞「声」欄に載った「……高年者は、自分たちの戦後の努力が今日の日本の繁栄をもたらした、と胸を張る。が、文化面、精神面で、胸を張れるものは皆無に等しい。逆に、アジア各地に対する戦争責任の清算を怠り、重い付けを次の世代に残した。唯一の成果である経済的繁栄も今や大きく傾き、日本の時代は確実に去りつつある。来るべきアジアの時代に、若者達は今、どのような位置を期待できるであろうか。一方、高齢化の速度は年ごとに加速している。十年後、二十年後のことを思うと、若者達は悲鳴を上げたくもなるだろう。……」というような指摘もあります。しかしこれは扱う問題の視点が異なっていますので置いておきます。
大道中の過去の荒れについてはどうでしょうか。私は次のように考えています。「思いやりと信頼」「対話と理解」、こうしたやり方に忠実に対処してきたと私は書きました。この方針に対して誰も反対はしないと思います。しかし指摘したように物事には両面があるのです。飽くまでも子供を信頼し粘り強く成長を援助していくという教育的な立場が貫かれているのと同時に、起こり得る誤りとして次のようなことが考えられます。1.子供のああでもないこうでもないという「へ理屈」に振り回され問題行動に対して「理解」を示してしまう危険性がある、2.目の前で起きている問題行動を即時に止めさせることが出来なくなることがある、3.学校側の責任・義務と生徒の側の責任・義務が不明確になり、荒れの解決を一般生徒に迫ってしまうことも起きる、4.信頼も対話もあからさまに拒否されると為す術を失う、5.相当な問題行動を起こしても最後は学校がきっと守ってくれるという信頼の元に問題行動を続ける子供が出てくる、6.当然の指導をする大人を「話がわからない」とし立場を悪くさせることがある、等々。
方針の捉え方、その運用の仕方次第で色々な行動が考えられ得るのです。 毎日の生活で大事な事は、生活そのものから出てくる判断や感情、行動です。ものの善し悪し、するべきこととしてはいけないこと、それを大人達が生き様を通じて教えることです。色々些末なことになんだかだと口出す必要は無いと思いますが、子供達の言動で誰がどう考えてもおかしい、止めねばならないということがあるものです。大人がどうしても叱らねばならないという瞬間があります。体を張っても阻止してやるのが親切だということもあります。
そしてその瞬間というのは、七組の生徒達が道徳の時間に四番目の項目で考えたような、正義の行動と自分の安全を嫌が応でも考えねばならない時とならざるを得ない場合があるのです。そしてそれは職業としての義務と、更には限界をも考えねばならない時なのだと思います。私が述べているリアリズムは現場の人間にはよく判ると思います。また、お子さんのことでお悩みの父母の皆さんにも理解しやすいことだと思います。
しかしこういうことに正面切ってまともに取り上げようとする政策や態度は寧ろ少数派です。……何故でしょう?
 私は、戦後の政治構造にもその原因があると思います。対立の構造の中でそれぞれの党派や勢力が自分たちこそが正しい教育の担い手として政策をアッピールして相手を攻撃してきました。その結果、お題目だけは唱えるのが上手で実際は事なかれで無責任なお役所的体質とでも言うべきものが形成されてきたのだと思います。
しかしどうやら少しずつ事態は変化してきているようです。尤も、もともと教育というのは人類誕生以来、年長者と年少者との間で営々と続けられてきたものです。その本質はきっとそれ程変わっていないのだろうと感じています。私がこうして直接親御さんと話をしているのは、そういう共通理解が何よりも大切だと思うからです。


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 │FORUM2-7 第42号 9月27日(金) │
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裏庭のキンモクセイが橙黄色の花をたくさん咲かせ、一帯に甘い芳香を漂わせていました。この香りに触れると本当に秋だなあと思います。香水のような強い香りです。元々この木は中国産ということでもあるのですが、なかなか東洋的な香りで、庭木として違和感無く周囲の空気に溶け込み、なんとも清々しい気持ちにしてくれました。
しかし先日の台風17号で、一日中暴風が庭を吹きまくり雨も叩き付け、キンモクセイの木も、掻き混ぜられるようにぐちゃぐちゃにされた結果、花は殆ど落ちてしまいました。台風の過ぎ去った後、打ち落とされた木の葉や吹き飛ばされた用具類で散らかった庭にキンモクセイの香りは既に消え失せていました。
翌朝はよく晴れて、空高くうろこ雲がかかっていました。台風一過、どこまでも高く拡がった青天が見られると思いきや、その日は次第に白い雲の量が増し、涼しく過ごしやすい一日となりました。
 実はその日、娘の学校で陸上競技大会が行われたのでした。その三日前の予行演習で彼女は太股を痛めて、学校から病院へ運ばれていました。彼女は運動部に所属しているのですが、その部はいつもリレーではビリになるという伝統がありました。今回ばかりはその汚名を返上しようと練習を重ね、予行演習では大変な競り合いの末、ビリを脱出したと喜んでいました。練習で勝ってもケガをしたのでは元も子も無い、誰もエライと言わないと言うと、みんなそう言うとしょげていました。台風のお陰で一日延び、その二日間じっと寝ていましたので、当日は走れると言い、大きな湿布を貼った上にテープをぐるぐる巻いて走りました。一千メートル走は六位。部活対抗リレーでは再びデッドヒートになり、後ろに他の部の選手を残してゴールに飛び込みましたが、退場する時は少し足を引きずっています。最後の学級対抗リレーは補欠に代わって貰えばいいなと思いながら会場を後にしましたが、彼女が帰宅してから聞くと結局そのようにして貰ったとのことでした。
 夜になると、前夜の嵐の緊張が解けたせいか、虫達が一斉に鳴き始めました。それは今年最大の大合唱でした。外へ出てみると夜の空気に秋の味を感じました。豊穣な秋味の夜気でした。
その翌日、今度は大道中の体育祭の学年練習がありました。前の週末の生徒集会でクラス旗コンクールの表彰があり、2年7組は、なんと優秀賞を獲得。そのせいもあるのかみんな気合が入っているようでした。 ふだんは静かだが、燃えるときは燃える。そういうクラスが私は好きです。ふだん、それ程静かかどうかはちょっと議論の余地のある所ですが、この組はいざとなると結構一丸となってヤル気を出してくるクラスだと感じています。
結果はまあどうでもいいとはいいませんが、悔いの無い頑張りさえして貰えばいいと思っています。何だか、生徒と一緒で体育祭がとても楽しみです。
体育祭と並行して合唱コンクールの準備もしなければなりません。体育館や音楽室での練習割り当ては24日から始まっています。コンクールは来月の23日に開催する予定になっています。直前に中間テストが入って、なかなか大変なスケジュールです。課題曲は「思い出は空に」、7組の自由曲はクラスの圧倒的多数で決定した「空も飛べるはず」です。伴奏者は夏休み明けにオーデションをして決定しました。指揮者も立候補です。パート分けをしてから、そのリーダーを決めました。それぞれのパートの生徒が家からテープデッキを持って来てくれました。伴奏者は各パートの旋律をテープに吹き込んでくれました。ということで、練習の始まる準備は全て整いました。さあ、これからが大変です。
頑張ってほしいと思っています。
全員の参加でこれらの行事をやりきれることが今一番望んでいることです。




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